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にじ

Author:にじ
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いろいろな「あっちの世界とこっちの世界」をつなぐために、やりたいことがいっぱいあります。

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医療としてのヒーリング

ヒーリングって世間ではまだ知名度ないんですよね。
この前職場でぎっくり腰の人にハンズオンをしてみますかと聞くと「宗教ですか?」と怪訝な顔。えーっと気功のすごいやつみたいの・・・というふうにお茶を濁してやってみると痛みが治まったので驚いていた様子。やったことは患部に炎症があったのでそれを冷まして、回復に必要なエーテル体レベルのエネルギーをたっぷり流しただけでした。

ここのところよく考えているのが代替・補完医療としてのヒーリングをどのようにやっていくかということ。日本においてほとんどの医療の現場ではエネルギーを媒体として患者の治療にかかわるというのはまずありえないこと。かなーり怪しいものと受け取られます。それでも最近は代替医療、補完医療に関する学会なども多く出てきているようでそういう関係だとまだ多少抵抗がなく受け入れられる下地があるのかもしれません。

ふつうは目に見えず、今のところ医療用検査機器にも引っ掛からないエネルギーが人を取り巻いていてそれが人の健康や人生に大きな影響を及ぼしています。その原理を知る訓練されたヒーラーが適切な治療、処置をすると病気や人生に治療効果、変化が得られることが多いのです。しかもしばしば劇的なものです。そしてその効果は医者にはありえないことに見えますがヒーラーにとってはわりと常識的にできることだったりします。
その反面、週末セミナー系インスタントヒーラーもどきが多くて本物の実力あるヒーラーも十把一絡げにキワモノ、ニセモノ扱いになってしまうとはよく言います。しかし医療の現場では、そんな話題にすらたどり着いていないという状況です。エネルギーによるヒーリングという方法があるということがほとんど知られていないのです。
その方法、理論、パラダイムをどのように統合医療としての現代医療にもたらしていくか。


ヒーリングトレーニングのインターンになったらどんなふうに仕事をしたいかという、とても個人的な選択(または悩み)から来たこのテーマ。セッションルームでクライアントさんを迎えるスタイルもありですし必要なのですが、自分はやはり医療の現場で統合医療の一部となりうるヒーリングをやっていきたいと思うのです。
「科学」と「権威主義」で固まってしまった医療の現場にどうやって入り込んでいくか。楽しみではありますが、どこからどう手をつけたらいいものやら。まずはヒーリングの腕を磨くことからでしょうか。

それでもとりあえずヒーリング、エネルギー療法に関心のある医師、看護師、医療関係者の方々が読まれていましたらご連絡お待ちしております。(セッション申込フォームからでかまいません。)微力ながら医療の今後に何ができるか相談できるといいと思います。
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時間感覚とチャクラ?

わが子がもう7カ月になりました(^_^)/
大変忙しく育っております。

この子の時間につき合っていると、自分もこの7カ月同じスピードの時間の中にいたことに気がつきます。すごい早さ。変化のスピードは普通の大人の何倍なんでしょうか。
そこで、はて?と思うわけです。そのすごいスピードの中でこの子の時間感覚はどうなってるんだろう?・・・と考えていたらある仮説を思いつきました。

一般的に時間との関係をつかさどるのは5チャクラといわれます。
しかし、一方でアストラルの世界(4レベル)ではの感覚が時間がありません。(だから何百年も前の幽霊が飽きもせず現れたりする。)また、自分の生き方を見つけてそれに打ち込んでいる間は時間の流れ方は普通の時と違う感じもあります。さらにそのような生き方をし始めると普通は脂肪組織に置き換わってしまう胸腺も本来の働きを維持し、脂肪に変わってしまわなくなります。
さらにさらに、以前ベストセラーになっていた「ゾウの時間ネズミの時間」の中で心臓の鼓動はゾウもネズミも15億回打って止まるとあります。寿命の中で動く心臓の回数は同じということ。それがゾウでは3秒に一回、ネズミでは0.1秒に一回になるだけです。生きるリズムを心臓が保っている。心臓はもちろんストレートに4チャクラつながりです。

つまり何を言いたいかというと

「時間感覚は5チャクラだけでなく4チャクラも関係しているのではないか?」


ということなのです。(時間感覚を認識するために3チャクラも働く必要はありますが。)また、逆にアストラルではなぜ時間の感覚がなくなるのか?ということも気になってきます。

時間ってとても相対的です。それをどう感じるかなんてもっとあいまいです。こういう大雑把さがなんとなくアストラルと関係がある?のかもと思いますが・・・
実際どうなんでしょうね?

ヒーリングの練習会

今日はトレーニングの練習会。
いろいろと練習をするのだけれどお互いにヒーリングをしあってフィードバックをもらうのは勉強になります。でも練習会と言いつつみんなヒーリングを「してもらいに」きているというのが本当ではなかろうか?順番にやるよと言っていてもなんだかんだいっていつも最初にベッドに上がっているひともいますなあ。そこのあなたです、あ・な・た。

クラスを終えてとりあえずの目標が見えてきてますが、AをBにすればいいとかそういう簡単な図式ではなく、いつも得たいものをつかみ取るためにはう~ん??と頭をひねっていろいろ体験するしかないのかなと思えるのです。成長ってそういうもんなんでしょう。本当にほしいものを手に入れるためにはそれなりに準備と努力とタイミング(と神の恩寵)が必要なのです。(お、ちょっといいこと言ったっぽい(^。^)

で、いつもの練習会。
ヒーリングをやって、受けて、あっ!と突然気がつくこともあります。(ありました。)
やっていることの意味や影響を気がつかずになかなか前に進めないこともあるのですが、しかし確実に学ぶべきことを学ぶように導かれている(操られている?(^_^;)のだと感じます。先に進むのはほんとにじれったいくらい遅いのだけれど、でもカメの歩みでも前に進んでいるのですね。

雨が寒かったけど今日もいい練習会でした。
皆さんお疲れさま。今日もありがとう。

落ち着きさき

今回のクラスもいつ終わるんだろ?というくらい長かったのだけど、終わってみるとあっという間でした。いやー、いろいろとよく笑った。一番ためになったのはお肌のシミ取りヒーリングとヒーリング業界裏話だったかな(笑)

いつも感じていることは「自分を生きることは大事」ということなのけれど、いろいろな意味で自分はまだまだなのだなと思わされています。いや、だからこそこれから先進んでいく先がある・・・と思いながらですけど。
本当になにをやるにしてもしっかり自分でいて、ほかの誰でもない自分を生きていくということはとても大事なこと。ヒーリングは自分の生き方がウソのつけない形でそのまま100%表されるので自分を思い知らされます。そしてヒーラーが人を癒すことができるのは、ヒーラー自身の光をもって仕事をおこなうから。その仕事の深さは自分自身の光の奥深さ。自分がたどり着いたところまでしか人を導けないし、自分の光に気がつかないと人の中にも光を見ることすらできない。
ヒーリングに深みをもたらすのは生き方そのものなのですなあ・・・とあらためて思い知らされた今回のクラスでした(; ̄_ ̄)=3


先月末からの風邪の洗礼とクラスの波の中で何かが去っていきました。
それとともに自分と自分が関わるいろいろなものがガタガタと騒がしくなっていって落ち着き場所を探し始めています。師匠もいろいろな意味で今年は変化の年だと言っていた。自分にももちろんそれは当てはまるみたいです。
さて、今度の落ち着きどころはどのへんだろう。
まあ落ち着いた先も多分仮住まいなのは分かってますけどね(^^ゞ



注:リンパキレーションはこんなワザではありません。

オープンクラス終わり

久々に参加のオープンクラスも終わりました。
参加の皆様お疲れ様でした。

ヒーリングトレーニング以外のクラスって意外に久しぶり。そういえば去年は出てなかったかも・・・レクチャーの多いクラスが久しぶりに新鮮でした。
子供連れだったのですが子守の合間にいろんな人と話ができました。
今回が最初なんです、って方や何回目かって人も。もちろん古株のヒーリングトレーニングの人たちも。

自分がこのスクールに出入りし始めたのは2000年。もう7年目かぁ(遠い目)。
どんなクラスになるのか見当もつかずに、BBSHに行くよりはお金もかかんなそうだしな・・といういい加減な理由でした(まあお金に関しては実際その通りではありました。いろいろなことを考えてもBBSHには行かんでよかったと今は思う(^^ゞ)通い始めのころはクラスに来てもなかなか知り合いもできないし、一人で課題図書とか読んでたりあんまりおもしろくなかったな~ お昼も一人で食べに行ったりしてた。
それでもなんかここのスクールで勉強していることは自分には大事な気がして続けてたのです。
でもリトリートや入野谷研修とか出ているうちに「仲間と歩んでるんだ」と思えてきた。ヒーリングトレーニングに入ってからは仲間たちとはこれからもずっと長いおつきあいになるのだろうなと思えます。

たったの6~7年ですが意識的に自分の人生を歩き始めて、自分だけの生き方をほんの少し垣間見ることができたりしています。歩いてきた道はつらいこともあったし楽しいことももちろんたくさんあった。いま人生はいい物で、世界一幸せで、トレーニングにも入ってヒーリングが楽しい!!と思えるくらいのところまでとりあえず来れました。だから自分の人生は本当に幸運だったと思う。
でもこれを幸運というんならたぶん道を歩む人それぞれがそれぞれに世界一幸運なのだと思う。自分が自分だけの人生を生きることほど楽しくて幸せなことはない。自分の人生を生きることは本当は人間が誰しもできるはずなのでしょう。
・・・で、その助けになるようなヒーラーになれるといいなと思っているわけです。

皆さん本当にお疲れ様でした。ではお休みなさい。
明日からのトレーニングも楽しみです(^_^)

おわり~手放しかた

やっと仕事にも復帰。体がにぶくて重い…
医者にかかったときはインフルエンザじゃなさそうですね、との診断だった。検査もなし。でもこの治りの遅さと症状の重さはインフルエンザだったのか?
でも満月を過ぎたあたりから急激に症状が良くなってました。
たしかに何か手放して終わった感じはある。

そういえばまえにもこんな感じがしたことがあった。
ずいぶん前の沖縄りトリートの時だった。
トランスメディテーションの際にひどい状態に陥って、あとでリトリート参加者のほとんどすべての人にかかわってもらってヒーリングをしてもらったんだった。
旅行から帰るとお約束のようにひどい風邪をひいてました。
でも何かが終わった感じがしていた。

そのときのヒーリングで起きたことを追体験していた。
そのとき自分は「死んだ」のだった。
で、また生まれて新たな自分になっていた。だから「終わった」のは古い自分自身だったのだ。
・・・で、何をやったかというと自分のお葬式。
といってもお線香の代わりにその辺にあったインセンスをたいて死んでいった自分に祈っただけのリチュアルだった。熱出しながらよくやったものだ(^^ゞ

これはなかなか具合がよかったかな。必要のないものを手放す、といういい象徴になったみたい。いつでも何にでもできるわけではないですけど。

シャスタの月の出


シャスタへの旅を思い出します。
あの不思議な旅はいつのことだったか。

風邪をひいたら

いつの間にか4月です。

毎年のごとくFEPTレポートを3月31日にあげるとしばらく痛かった喉が悪化。
しばらくぶりにしっかり熱出して寝込んでました。
誰かに遠隔ヒーリングでもしてもらおうとヒーリング勉強仲間に連絡してみるも誰からも返事無し。
まあそんなこともあるかと思っているとなんだかみんな調子悪かったみたいで。
季節の変わり目でもありみんな変化の時なんですなー

いい機会です。気を取り直して自分の体で人体実験でもしよう。
1・ビタミンCの大量摂取で風邪に対抗。1時間おきに1~2グラム摂取。それとともに果物をたくさん食べる。
2・鼻、耳の詰まり感にルミニスのユウスゲエッセンスを使ってみる。
3・医者からもらってきた抗生剤などは「薬の知性」を回復させて飲んでみる。

その結果・・・
1・ビタミンCの大量摂取はちょっとおなかがゆるくなるかも。しかも原末で飲むとものすごく酸っぱい。酸っぱすぎて苦く感じるので飲みやすくはないですねえ。果物も食べるものを選ばないと体を冷やしそう。
2・ユウスゲはそれなりに鼻、耳が通ってくる感じ。物理的なつまりはまだあるもののエネルギーの通りが良くなるので閉塞感が減ってきた。
3・これは薬剤師ヒーラーとしての技術。
薬は単なる化学物質ではなく、開発や治験などにものすごいエネルギーがつぎ込まれいます。しかし、何も考えずに物理的な化合物としてだけ摂取するのと、エネルギーのバックグラウンドをその薬そのものに思い出させるのとでは効果、副作用が異なるのです。(との師匠の言葉。)
その薬のデーヴァと話をつけて薬の光を増すようにエネルギーを入れる。(自分はデーヴァと話というのはよくわからないので、その薬の個性を伸ばすようにエネルギーをチャージしてあげる感じになります。)
いままで何度かやってみたことがありますが薬たちが目を覚ましたような感じになります。でも1~2日飲んでますがいまのところ際立った効果はなし(^_^;)ありゃ。

何とか熱やだるさはおさまってきてます。(こうやってPCも触れるし。)
しっかり体調調整して週末のクラスに向けて準備中という感じですかね。
オープンクラス参加の皆様、よろしくお願いします。

強い薬?弱い薬?

「この薬は強い薬ですか?」と患者さんに聞かれることがあります。
そのたびになんて答えようか悩みます。この患者さんは副作用を気にしているのか、効果のほどを気にしているのか?

薬の「強い」「弱い」はあまり議論しても実のない話なのです。
というのは強い、弱いで何をどのように比較しているのかはっきりしないからです。

たとえば・・
効果が「強く」(切れ味のよい)、副作用が少ない(「弱い」)薬というものはあります。
効果はほどほどで(「弱く」)しかし副作用の「強い」薬というものもあります。
さて、これらの薬は「強い薬」か。それとも「弱い薬」か。

もちろん同じ成分で含有量が多いものなどは少ないものに比べて(効果も副作用も)「強い」とは言えるでしょう。(市販のガスターは10mgですが医療用のガスター錠は20mgのもあります。)
また、ステロイドなど効果の違いで強弱の分類がされているものもあります。

副作用が「強い」が治療のためにあまり選択肢がなく、使わざるをえない場合(抗がん剤治療やステロイドでの治療などはこれにあたりますか。)このような場合はその薬を使うかどうか医師や薬剤師とよく話し合う必要はあるでしょう。しかし、治療効果は「強い」が副作用の弱い薬を「強い」薬だから、と拒否するのはあまり意味がありません。

それでも医師や薬剤師が「強い薬」「弱い薬」と言っているのはよく聞きますね。
医療サービスの消費者としてはどういった意味で「強い」「弱い」と言っているのか聞いてみたほうがいいかもしれません。(普通の町医者なんかでは患者さんが自分の意志で治療の責任を持つことに慣れていないので煙たがられるかもしれませんが(^_^;)いや、いい先生もいると思いますけどね。)
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